朝日新聞での在日朝鮮族関連記事(2010年2月12日)

 注:先日、朝日新聞記者中野晃さんからの手紙が届いた。朝日新聞の在日中国人シリーズの一環として中国朝鮮族が取り上げられた。中野さんの手紙には、関連記事が載せられた新聞一部が同封されていた。去年、取材を受けたことをきっかけとして、東大のOBでもある中野さんと知り合うことになった。

 以下は、その記事の全文である。http://www.asahi.com/special/kajin/TKY201002120316.html

 

朝鮮族 アジア結びたい――第10部〈鼓動潮流〉

2010年2月13日10時24分 

写真懇親会で歌う金京子さん=2009年12月12日、東京都新宿区の目白大学、細川卓撮影

写真「韓国伝統民俗茶」と記した店の看板前で談笑する、朝鮮族の金花芬さん(左)と在日の洪貞淑さん=大阪市生野区、中野写す

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■増えた同胞へ、歌声送る

 中国で少数民族の「朝鮮族」として育ち、日本へ来た人々が昨年末、都内で懇親会を開いた。「次は懐かしいあの歌です」。司会者の紹介で登場したのは金京子(キム・キョンジャ)さん(44)。1980年代後半、その代表曲の名から中国吉林省・延辺朝鮮族自治州を中心に「杏(あんず)の花の乙女」と呼ばれた人気歌手だ。

 86年、自治州の州都・延吉の大学生時代にデビュー。改革開放が進む中、恋心を歌う学生歌手は人気を呼んだ。だが、在日韓国人2世の研究者と出会い、結婚。歌手をやめて92年に日本へ来た。

 ずっと日本に暮らすのだからと、5年ほど前、日本国籍の取得を夫に切り出した。韓国籍の夫は「日本人になるのか」と反対した。「民族の誇りは失わない」と説き伏せ、ひとりで国籍を変えた。

 2007年、埼玉で開かれた在日朝鮮族の歌合戦に招かれた。約千人の観衆が目に入った。「朝鮮族の仲間がこんなにも日本にいたなんて」

 5万人前後に増えた在日朝鮮族は、戦前からの在日コリアンや子孫、80年代以降に留学や就労で韓国から来た人々に続く、新たなコリアンとして根を下ろし始めている。

 同胞の励みにと、金さんは再び歌い始めた。上海で収録した初めてのCDを昨秋に出した。朝鮮族は三つの言葉を話せる人が多いが、「中国人にも、韓国人にも、日本人にもなりきれないあいまいな存在」と金さんは思う。「でも、幅広い目線をもてるかも知れません」

 昨年12月、都内で開かれた4年に1度の在日朝鮮族によるシンポジウム。中国、韓国からも報告者やメディアが来た。

 「東北アジアの時代が来ている。各地域における朝鮮族がどう活躍すべきかを考えていただきたい」。会議の実行委員長である李鋼哲・北陸大教授は語った。

 中国から来た黄有福・中央民族大学教授も「(東北アジア各地で)言語疎通ができる朝鮮族は東アジア共同体の構築で先頭に立つ必要がある」と応じた。約200万人の朝鮮族は延辺を中心に北京、上海など中国各地や韓国にも広がっている。鳩山由紀夫首相の東アジア共同体構想に刺激を受け、会場は熱が入った。

 世界のコリアン・ネットワークと、中国、華僑・華人ネットワークを結びつける。そこに朝鮮族の役割がある、との提言が相次いだ。

■情報交換サイト、膨らむ

 日本社会に散らばる朝鮮族を結ぶ人たちがいる。7万人の会員がいるサイト「シムト(憩いの場)」。運営する東京のIT会社社長、金正男(キム・ジョンナム)さん(37)も延辺出身だ。中国で社員募集した韓国の建設会社に入社。リビアの砂漠で水利施設をつくる事業に配属された。99年、日本に留学した。

 「外国人はちょっと……」と借家を何度も断られ、言葉の問題でアルバイト先も数カ月間は見つからなかった。気軽に相談できる朝鮮族がどこにいるかも分からない。同じ境遇の朝鮮族が情報交換できる場をつくりたい。自宅のパソコンで、ホームページを立ち上げた。

 加入者は日増しに増えた。会社に勤めながらサイトを続けたが、会員数が膨れ、本業にした。求人求職から食材の通信販売。婚活コーナーで、千組を超えるカップルが生まれた。中国や韓国にいる朝鮮族の閲覧者も増えた。08年には広東省と延辺版「シムト」を始めた。40万人超の朝鮮族がいる韓国版も準備中だ。

 昨年末、延辺衛星放送局長らが来日、金さんの会社と事業契約を結んだ。IP回線で同局の朝鮮語、中国語の放送が日本でも同時に見られるようになった。

 貿易業の傍ら中国人、韓国人向けの雑誌を出版する金軍燕(キム・グンヨン)さん(33)は、朝鮮族の立場を強みと言い切る。日中韓を見据えて動ける。「広告でも、各国の景気の違いをバランスさせられる」。昨夏からはウォン安を受け、雑誌の印刷を韓国に移した。経費を約3割削減したという。円安になれば日本に戻す考えだ。

 来日は99年。福井県立大で学び、起業した。中国語の「万事通」2万部、ハングル中心の「Rainbow(ムジゲ)」1万部などのフリーペーパーを発行する。

■「在日の人、先輩」

 大阪市生野(いくの)区の「コリアタウン」の一角にある韓国茶カフェ。韓国料理研究家で在日3世の洪貞淑(ホン・ジョンスク)さん(47)が営む。それを、中国遼寧省出身で大阪府立大大学院生の金花芬(キム・ファブン)さん(34)が手伝う。金さんは、韓国茶カフェで自然を大切にする民族の文化を伝える洪さんに共感した。

 金さんは日本へ来て、はっきりと意思表示をする朝鮮族とそうでない在日の違いを感じたこともある。一方、民族を守ることへのこだわりは在日コリアンが強いと思う。「在日の人たちは『先輩』。共生しながら民族の文化を発展させていきたい」

 一方、洪さんは「いろんなコリアンと接すると、やっぱり私は在日やと感じることもあります。花芬には朝鮮族の文化も発信してほしい。いろんなコリアンの文化が混ざることでどう変わるかも楽しみです」と話す。

■脱北者を調査

 「このままでは家族全員が飢え死にする。私が中国に行けばいつかは家族を助けることができる」(30代後半の北朝鮮女性)。福岡市の韓景旭・西南学院大教授(文化人類学)は中国内で脱北者約30人に聞き取り調査をしてきた。父の故郷、北朝鮮への関心は高かったが、情報が手に入らなかった。

 中国で韓国系キリスト教会などを訪ね、脱北者と会った。自身が中国東北部で移民2世として生まれ育ち、19歳のとき日本に無一文で留学した苦労話から切り出すと、心を開いてくれる脱北者は少なくなかった。

 韓教授は昨夏、北朝鮮に2度目の訪問をした。中国から図們江を越え、東海岸沿いを巡る中国人向けの観光ルートだが、豊かな自然だけを見れば楽園で、心配して持ち込んだ食料品は不要だった。「国の全体像を知りたい」「村に入り、民衆のありのままの姿を伝えたい」と、現地調査に力を入れる考えだ。

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 〈中国朝鮮族〉 中国に住む朝鮮民族。00年の調査で、全国に約192万人がいる。北朝鮮に接する吉林省・延辺朝鮮族自治州に約80万人。日韓併合(1910年)や満州国成立(32年)で、朝鮮半島から延辺地域への移住に拍車がかかった。戦後も多数が中国に残った。朝鮮戦争では、「50年冬と51年春にかけて、延辺では朝鮮の戦場へ行くことを希望して、入隊を申請した男女が1万9394人に達し、朝鮮族青年はほとんどが登録した」(李海燕著「戦後の『満州』と朝鮮人社会」)。

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 在日華人社会の中にも、人口拡大につれて新しい勢力が育ち、新たな現象が生まれている。第10部「鼓動潮流」は、それらの動きと日本社会のかかわりを伝える。(中野晃、若松潤、河原一郎)

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